御朱印帳やいただいた紙を広げてみたら、思っていたよりくっきりとした文字で、「あれ、これは手書きじゃなくて印刷なのかな」と感じたことはありませんか。手書きの御朱印と見比べて、なんとなく物足りなさやありがたみの薄さを感じてしまう方もいらっしゃるかもしれません。ですが、印刷やスタンプで用意された御朱印には、社寺ごとにきちんとした理由があります。この記事では、印刷の御朱印がなぜ存在するのか、書き置きとの関係、印刷だからこそ生まれる意匠まで、順番にやさしく整理していきますね。
印刷やスタンプの御朱印は珍しいものではありません
御朱印の中には、墨書きではなく印刷やスタンプによって仕上げられたものが実際にあります。神社やお寺によって対応はさまざまですが、決して一部の特別なケースというわけではなく、多くの社寺で用意されている授与方法のひとつです。
印刷やスタンプが使われる背景には、社寺ならではのいくつかの事情があります。
- 書き手の方の人数が限られており、すべての御朱印を手作業でまかなうのが難しいことがある
- お正月や祭礼など、参拝者が大きく増える期間の対応として用意されることがある
- 巡礼企画や複数の授与所でまとめて用意する必要がある場合
- 紙質やインクを工夫し、長期間の保存に強くする狙いで選ばれる場合
こうした事情から選ばれている印刷やスタンプは、手間を省くためというより、参拝者に安定して御朱印をお渡しし続けるための工夫と考えると、受け止め方も少し変わってくるのではないでしょうか。
書き置き=印刷、というわけではありません
「書き置き」と聞くと、印刷されたものをイメージする方が多いかもしれません。ですが、書き置きと印刷は、実はまったく別の軸で考えるべきものです。「直書きか書き置きか」はどこでいただくかという授与の形の違いで、「手書きか印刷か」は中身がどう作られたかという違い。この2つは、必ずしも一致しません。直書きと書き置きそのものの違いは、直書きと書き置きの違いでくわしく解説しています。
実際、書き置きの中には、書き手の方が参拝者の少ない時間帯にあらかじめ一枚ずつ手書きしておき、それを書き置きとして授与しているケースも少なくありません。この場合、墨の濃淡や筆致には手書きならではの個性がしっかりと残っています。
つまり、書き置きだからといって必ず印刷とは限らず、直書きだからといってすべての工程が手作業だけで完結しているとも限りません。見た目だけで判断せず、「今日はこの授与方法だったんだな」と受け止めるくらいで十分ですよ。
印刷だからこそ生まれる意匠もあります
印刷という手法は、手書きでは再現がむずかしいデザインを可能にしてくれる面もあります。たとえば、繊細な柄を切り抜いた切り絵御朱印は、下地の色や模様を印刷で仕上げることで、より華やかな仕上がりになっていることがあります。切り絵御朱印そのものについては切り絵御朱印でくわしく紹介していますので、気になる方はあわせてご覧ください。
ほかにも、金箔をあしらった箔押しや、季節の花や行事をモチーフにした多色刷りなど、印刷や特殊な加工だからこそ表現できるデザインは数多くあります。これらは「手書きの代わり」ではなく、印刷という手法を積極的に選んで作られた、意匠性を重視した御朱印なんです。
✦ 日付だけ手書きという御朱印も
台紙全体は印刷でも、参拝した日付の部分だけは一枚ずつ手書きしている社寺もあります。よく見ると墨の濃淡が残っていることがあるので、いただいた御朱印をあらためて眺めてみると、新しい発見があるかもしれませんよ。
紙朱印・紙渡し・置き書き…呼び名がいろいろあるのはなぜ
御朱印めぐりをしていると、「紙朱印」「紙渡し」といった呼び方に出会うことがあります。これらは、あらかじめ紙に用意された御朱印を指す言葉で、呼び方こそ違いますが、指しているものはほぼ同じと考えて大丈夫です。案内板や授与所で聞き慣れない言葉に出会っても、慌てる必要はありません。
また、「置き書き」という言葉を見かけることもありますが、これは「書き置き」の言い間違いや変換ミスから広まった表現で、書き置きと同じものを指しています。呼び方が違っていても、あらかじめ用意された御朱印であることに変わりはないので、案内表示に出会ったときは「同じもののことだな」と受け止めておけば十分です。
まとめ
御朱印が手書きではなく印刷やスタンプだったとしても、それは手抜きでも、ありがたみが薄れるわけでもありません。書き手の人数や混雑状況、保存性、そして意匠性を高めるためなど、印刷にはさまざまな背景があります。書き置きの中にも手書きのものがあるように、「印刷か手書きか」と「直書きか書き置きか」は別の軸で考えるとすっきり整理できますよ。御朱印そのものの意味からあらためて確認したい方は、御朱印とはもぜひ参考にしてみてください。どんな形でいただいても、参拝したという大切な記録であることに変わりはありません。

